「社会を明るくする運動作文コンテスト」が宿題に出たら
“社会を明るくする運動”の作文の一例ですが、駅の清掃活動をする祖父の話から、テーマ性を持って書くことができています。
祖父母に教わったこと
夏休みに、母の実家へ遊びに行った。祖父母の二人暮らしで、祖父は、五年位前に軽い脳梗塞になり、言語障害が少しある。だから祖父の話す言葉は、何度も聞きなおさないとわからないので、僕は祖父と話をするのが嫌だった。
その日の夕方、祖父母が二人で何か話をしていた。祖母も祖父も言っていることが分かりにくいみたいだけど、笑顔ではなしている。僕は祖父に、
「じいちゃん何て言ったん。」
と聞くと、
「駅に行って来るって、夕方になると駅に行って掃除するんよ。」
と、言った。
そういえば、祖父母の家は、歩いてすぐの所にある。何年か前は駅員さんがいたし、観光客も来て、駅を出入りする人たちも少なくないのに、今は無人の駅になっている。
僕は祖母に、
「じいちゃんが駅を利用しているわけでもないし、汚しているわけでもないのに、どうして掃除をしに行くん。」
と、聞いた。すると祖母は、
「駅を利用する人たちが、毎日きれいだったら気持ち良いじゃろう。じいちゃんは、毎日気持ちよく出入りしてもらいたいから掃除しよるんよ。そうしたら、自分も気持ち良いからね。」
と、言った。僕はそんな物なのかなあと思った。
次の日、別に行く気ではなかったけど、祖母が、
「じいちゃんと一緒に、駅に行ってみたら。」
と、言ったので、めんどくさかったけど、ついて行ってみた。そんなに汚れてはないだろうと思っていたけど、タバコやお菓子の食べカスや、空き缶などが落ちていた。ゴミ箱が置いてあるのに、なんでゴミ箱に入れないのかなあと思いながら拾った。僕は、話をするのが嫌だったけれど、祖父に、
「じいちゃん、いつもこれぐらいゴミが落ちとるん。」
と、聞いてみた。すごく分かりにくくて、何度も聞きなおしたけれど、
「土曜日と日曜日は、もっといっぱいゴミがあるよ。」
と言った。
僕は、祖父が駅を掃除しなかったら、誰がするのだろうかと思った。すごく汚くなって、町のイメージも悪くなるんじゃないかなぁ、と思い、なんかすごく腹が立ってきた。
めんどくさいと思いながら祖父についていき、たった一度掃除をしただけなのに、きれいになった駅を見て、すごく気持ちよかった。
祖母が言ったように、じいちゃんは、駅を利用する人が気持ちよく出入りしてもらいたくて、きれいにしているといった意味が分かるような気がした。僕は、人に喜ばれることをしてほめてもらうとうれしいけど、誰も知らなくても、人のために自分ができることをする。それは、自分にとってもうれしい気持ちになれるということを祖父母に教えてもらった気がした。
そんな祖父のことを、脳こうそくになり、言葉が聞き取りにくいというだけで嫌だとおもっていた自分が、すごく恥ずかしくなった。
次の日も、祖父と一緒に駅の掃除をしに行った。駅には電車が来るのを待っている女の人がいた。僕がゴミを拾っていたら、その女の人が、
「私も時間があるから手伝いましょう。」
と言って、一緒に掃除を手伝ってくれた。祖父が、
「ありがとうございます。」
と、聞き取りにくい声で言ったけど女の人は、
「どういたしまして。」
と笑顔で答えた。
僕は、なんか心が温かくなった。知らない人だけど、心のふれ合い、心の温かさをひしひしと感じた。
僕は、積極的に自分ができることを勇気を持ってすれば、そても気持ちいいということが改めて分かった。祖母や女の人のように、誰にでも笑顔で接すれば、心が温かくなりお互いがやさしい気持ちになれる。
僕は、夏休みに祖父母の家に来て本当に良かったと思った。祖父母が教えてくれたように、僕も人にやさしくて、いつも温かい気持ちを持てる人になりたいと思った。
そうすれば、みんなが幸せな気持ちになり、社会が明るくなるのではないかと思う。