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例文・見本で使える「社会を明るくする運動作文コンテスト」の作文を集めてみた 第1回

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「社会を明るくする運動作文コンテスト」が宿題に出たら

“社会を明るくする運動”の一環として、全国の小・中学生を対象に、日常の家庭生活、学校生活の中で体験したことをもとに、犯罪や非行などについて考えたことや感じたことを作文します。今回の作文の例は、自分が病気になり、また、家族が病気になったときに感じた人のあたたかさをテーマにした作文です。

タイトル:あたたかい人

思いやり。それは何だろう。私はこの宿題を見た 時に思いやりという言葉は漠然としていてどんなものか分からなかった。でも考えていくうちに分かっていくような気がした。人に優しくすること、 人のためを思うこと、一緒に喜ぶこと、一緒に悲しむこと。まだまだたくさんある。多分思いやりというものにただ一つの正解はなく、自分で思ったものが正解なのだと思う。そして私が正解だと思ったもの。それは人のカになることだ。

私が六年生の時入院するほどの病気にかかった。すごくしんどくて辛かった。入院したのが水曜日。 土曜日には卓球の団体戦があった。私一人がいないだけで試合に勝っても一回戦敗退となる。悪いと思った。せっかく練習してきたのにそれを台無しにしてしまう。でもこんな状態では大会には出られない。そんな不安を病室で持っていた時、一通の手紙が届いたと母に渡された。それは卓球の試合に一緒に出る大好きな親友からだった。それを読み終わった時、両親の前だったが泣きそうになった。「卓球のことは心配しないで、体のことだけ考えて。フレーフレーー。がんばれ。」入院してすぐに書いてくれたこと、卓球のことが分かったのか心配しなくていいと言ってくれたこと。 その全てがうれしかった。人の手紙であんなにも感動したのは初めてだった。表情も声も届かない手紙。でも文字だけで友達の温かさを感じた。人は 温かいものなのだと体感した。その温かみが届いたのか私は急激に回復。卓球大会にも出場することができ、神戸市ベスト十六という結果を残すことができた。病気になり苦しかったけどいい体験をできてよかったと思った。
しかしその後すぐに母が入院することになった。私が宿泊行事に行っている最中で、帰ってきた時に父から母が入院したと聞かされた。驚きがかくせなかったがすぐに母のいる病院へと向かった。いつもは元気で明るい母が苫しそうな顔で寝ていた。ずっと母のそばにいたい気分だったが父に「帰ろう」と一言われたので素直にかえった。しかしそこからが問題だった。家のことができないのだ。家事全般をやる母。その母がいないと誰も何もできない。でも何もやらなくては生活ができない。私と父と兄の大仕事が始まった。スーパーへ行き、食料の調達。洗たく。掃除。想像以上の大変さだった。三人でも体力をけずりとられる仕事。これを三百六十五日かかさずやるだなんて。どれ程母はすごいことしているのか。いつも当然のように家事をする母。 とてもかっこよくて感謝しきれない。母が毎日 族の為に自分の身をけずって家事をしてくれているのも思いやりのーつだと思う。当然だと思っているのは当然ではないのだ。そんな母に私ができること。お手伝いをすること、感謝を伝えること。 たくさんあるけど少しずつできることからやっていきたい。私は母のような思いやりに満ちあふれた入になりたいと思った。
私は人に助けられたり、力になってもらったりすることがたくさんある。でも私はだれかの力になったり人への思いやりがあるのだろうか。思い出すと何もうかんでこない。本当に何もしていないのか。それとも気づいていないのか。どっちにしろ分からないけど気付かないだけで人に優しくできていればいいのになと思う。今までは分からなかったけど、これからは分かるように自分で意識をもって誰かの為に力になりたいと思う。

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